衛生看護科閉科式式辞
中川校長(当時)
新川地域の高等学校における准看護婦養成の学科として、多くの方に見守られ、長い伝統を築いてまいりました本校衛生看護科が、社会の急速な変化により、本日をもって閉じられることとなりました。 ところで本日は、これまで男女で異なっていた看護職員の名称が統一された記念すべき日でもあります。男性が看護士の資格を取得できるようになったのは、昭和43年のことでした。それ以来、女性は看護婦、男性は看護士と呼称(呼び名)が区別されていました。
近年、看護職に就く男性の数も増えてきて、同じ職種で男女により異なる名称は都合が悪いと、その統一が求められていたところから、「保健婦助産婦看護婦法」が改正され、看護師、准看護師、保健師、助産師(師は男性の士(さむらい)ではなく医師とおなじ”はばへん”)となりました。
思い返しますと、本校に衛生看護科を設置し、次年度からの募集が決定されましたのは、男性が看護の資格を取得できるようになった同じ昭和43年12月20日のことでした。
衛生看護科は、高校卒業と同時に准看護婦試験の受験資格が取得できる学科として、昭和40年前後に全国一斉にスタートしました。
本県でも昭和40年度に富山女子高校、昭和42年度に高岡女子高校、そして、本校は昭和44年度からです。以来、看護婦を目指す多くの女子中学生が、衛生看護科を受験してきました。
本校も地域一円の各中学校からすばらしい卒業生をお預かりし、発足当初は黒部厚生病院、富山労災病院、滑川農協病院に実習をお願いしまして、准看護試験の高い合格率を目指して、本校衛生看護科の存在意義を世に問うてまいりました。
現在、県内外の病院や施設には多くの卒業生が勤務しており、本校も様々な支援を受けております。
しかしながら、今日の科学技術の急速な進展に伴い、准看護師に求められる知識・技術は高度化し、受験資格を取得するためには、学ばなくてはならないことが大幅に増加しました。
学校外の実習施設や時間数も大幅に増え、3年間という限られた時間内では、高校教育に必要とされる学習の修得と、准看護婦養成の指定規則に伴う学習の両立を目指すのは、難しい事態を迎えました。本県の衛生看護科はすべて閉科の方向に決まりました。
本校の衛生看護科は、本日の卒業生とともに幕を引くことになりました。
これまでご協力・ご支援をいただきましたことに深甚の感謝の念を捧げます。
とともに、本日、本校を巣立ちました最後の衛生看護科卒業生に、これまで世に送り出して来た多くの卒業生と同様に、変わらぬ温かいご愛顧をいただけますようお願い申し上げまして、本日の式辞といたします。